『審判』をみたら☆アルケアルケ

忘れたくないから記録しておこう。

2020年6月16日のことだ。

ひさしぶりにセラピールームで調べものをしようとしていた。

その前に空間の設定からして。。。

そうしていると部屋の一隅に置いてある『審判』の大判が目に入った。

「そういえば、昨日、公園でウォーキングしていたときにハイヤーセルフと繋がりやすくなったのを感じたな」

そう思い、意識を上に向けて自分の器を広げるつもりになってみた。

すると急に「調べ探しつづけているのは講座のため」という気がした。

「帰着点は分からないけど、今したいことはこれだからただひたすらやる」ということでこれまでいろいろ調べたり、探したりしつづけてきた。

さっき感じたのがハイヤーセルフからの直観なのだとしたら、ひとつの転回点なのかも知れない。

調べたものを文章としてまとめておかないと人に分かってもらえないと焦っていたけど、内部の者だけで分かる程度にまとめておけばいいのかも。

この後、瞑想とか、ウォーキングのときにまた情報が来るかもしれない。

実際、自然の中で身体を動かしたり、肉体優位の遊びをしたりなど、思考が休んでいるときに直観は降りてくる。

学校で子どもがぼんやりと手まぜしたりするのをやめさせようとするが、あれは子どもなりの一種の瞑想なんじゃないかな。

教室の外をぼんやり見ていたりするのもそうだ。

自分の内面を調整したり、ハイヤーセルフとの繋がりを確保したりしているのだと思う。

だから子どもの立場としてはとても有意義。

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瞑想やウォーキング、何かの遊びのときにまた何か直観がやってくるかも知れない。

それを見ながら一歩ずつ進もう。

パーシー

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