父に本音を言った☆エンプティ・チェア
昨日、亡き父親とのエンプティ・チェアを行った。
過去のわたしは、ずっと父親を悪く思わないように、悪く言わないように自分を無意識にもコントロールして生きて来ていた感じだった。
母親のことばかり責める意識があった。
それで父親が影響を与えていた部分を開放し損ねていた。
多くの部分が手付かずで残っているかも知れなかった。
エンプティ・チェアの中で
もうこれからは父親の意向を気にせずに生きていくつもりだということを伝えることから始めた。
父が自分の実家との関係で「いい子」いる調教を時代的にも受けていたことがわたしにも影響しているようだった。
父は、人が本人の意向を主張したりして「わがまま」「自分勝手」にするのはいやなようだった。
父の病室に見舞いに行った際に、同席した幼い甥っ子が退屈してじたばたしたり、帰りたがったりしているのを見て、父がいらだっているのを感じたのを思い出して話題にした。
わたしはむしろ甥っ子のように自分勝手に生きたいのだと伝えた。
何度か椅子を行ったり来たりしている間にわたしの本音がもっと出て来た。
父が晩酌で酔っ払うと恐くて仕方がなかったことの文句を言った。
普段は大人しいのに晩酌の後には別人のような感じで。
幼かったわたしに怯える環境を与えた父にいろいろと言いたいことを言っていった。
父に本音で物を言ったことは一度もなかったのだと思い当たった。
「いやだ」とか「かなしい」とか「不満だ」とか。
ずっと遠慮し続けてきていた。
改めて父母の意向は「知らん」と言って生きていくよと宣言した。
最後の方では「思いやりをもって言いたいことを言っていったらいい」という言葉が父親のものとして出て来た。
エンプティ・チェアを終えて、思い返すと、今まで父母の意向が気にかかって、自分の気持ちが尊重できていなかったと思う。
もう自分の気持ちを大切にしよう。
究極の自己愛へと進んでいく。
パーシー








