不要なインプット・データ☆自覚する
Youtubeを見ていたら、自分の丹田に問いかけるように勧めているシーンがあった。
丹田が魂の座だからそこに聞いてみるということだ。
それでわたしも丹田に聞いてみた。
「何で今日、この情報を聞くことにしたのか?」
答えは「もうごまかせないから」だった。
ヴィジョンも感じられた。
長姉が同級生とかと遊ぶのにいっしょに行く様子。
姉は妹たちを連れて行きたくないという態度だった。
その日は親から妹たちも連れて行くように言われてしぶしぶだった。
慣れていない場所に、慣れていない人たちといる。
心が冷えるように感じながら
「この人たちに、きらわれないように、いやがられないように合わせなくては」
と思ったことを思い出した。
本当は行きたくないのに、我慢をし、さらに合わせようとしている。
そういう本音、もうごまかしてはいけない。
自分の本意じゃない場に行ったり、そこに合わせるよう自分に強いるデータを排出した方がいい。
そういうやり方は自分に対しても他人に対しても気持ちを偽ることになるからだ。
お昼に洗濯物を干しているときのことをちょっと思い出した。
サザンの『真夏の果実』をちょっと鼻歌でくちずさんで、すぐにやめた。
本当はあまり好みじゃないのに、なぜかくちずさんでいた。
歌詞とかが直観からのメッセージかなと思ったけど、意識を引きつけるものを感じなかったので違うみたい。
それで思ったことは
「好みのものじゃなくても、いる環境によって、人間の中には情報が入ってしまう」
ということ。
好みじゃなくても、流行した音楽はデータとしてインプットされてしまっていた。
口ずさむことはそのデータを再生することだ。
他のことでも思い当たった。
今朝の夢の中。
雑貨屋さんとかおみやげ物屋さんをぶらぶらしていて、なぜかお店の商品の見本品がポケットに入っていた。
夢の中でわたしは「なぜか入ってしまっていたけど、自分のほしいものじゃないし」ってお店の人に弁明していた。
現実の世界でもちょっと前に似たことがあったのを思い出した。
バイト先には輪ゴムが山ほど余っていて、捨てるのももったいないと思ったらしい上司から「もって帰りませんか」と言われた。
わたしは「家にもあるし、こんなに使いませんから」と断ったのだけど、10日程後のある日、わたしの服のポケットの中に、いつの間にか輪ゴムが何個か入っていた。
仕事中に無意識に入れたのかもと思う。
家に帰って捨てたのだけど、いらないものが入っていたという共通性がある。
生きていたら、不要なもの・不要なデータが入ってきてしまう。
入らなければそれに越したことはないけど、入っていることに気づいて対処できるようになれば、それはそれでいい。
自分の気持ちを見つめていよう。
その気持ちを認め、他人にもできるだけ正直に伝えよう。
そうしたら自分の領域の守護者になれる。
パーシー








