被害者意識はいい答えじゃないのだ

わたしは子どもの頃から「被害妄想」に苛まれていた。

姉からこの言葉をよく突きつけられていたからだ。

家の中での立場が弱くて、言いくるめられてしまう。

相手を責めても「被害妄想」と言われ、自分の捉え方に問題があるのかなと疑い始めていた。

今、振り返ってみると、姉から八つ当たり的に何のかんのと文句をつけられてはいたのだと思う。

2歳差の悪知恵にだまされ、無理やり屈服させられていて、被害者意識をもってしまった。

けれど被害者意識は適切な対応ではなかったようだ。
 
 
姉が姉の考え・見方をすることは悪くない。

わたしがわたしの考え方・見方をすることも悪くない。

一致していないだけだ。

考え方・物の見方が一致していないのに、一方の主張を正しいと無理やり通すことがおかしいだけだ。

そして納得していないのに相手に利があるのかもと自分の主張を放棄することがおかしいことだ。

自分の力を放棄し、相手の主張の側から見ることが「被害者意識」に陥ることに繋がっている。
 
 
「わたしはそうは思わない」と意見を通せればよかったんだけど。

あるいは「相手はこちらを負かそうとしすぎている」と冷静に見る判断力があればよかったんだけど。
 
 
嫌われたくないと考えてしまうなど、お人よしにならないことは大切だ。

まあ、時間はかかったけれど、自分の主張というテンションを宇宙の輪にかけることは自分の役割だと分かっては来た。

つまり自分の気持ちを無闇に放棄するのは望ましくないということだ。

自分の気持ちを認め、他者にその邪魔をさせないようにすることは大切なのだ。

要はエネルギーのバランス。

これまで『吊るし』の受身すぎた人は『悪魔』のアグレッシブさを養い、バランスをとる必要がある。

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(邪魔をするものを甘言のロープで括る『悪魔』)

パーシー

2020-02-05 | Posted in ⅩⅠ~ⅩⅤ, タロットのことComments Closed 

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