一人の人間として☆真実の自己愛へ
自分の葛藤や親の死やおかれた状況に、人生の迷いの渦が生じ、グルグルして苦しくなったので、しばらく目を閉じてみた。
グルグルが過ぎ去るまで、しばらくじっとしていた。
エゴやその信念体系みたいのが、自分をジャッジさせようとする。
(「ego」ではなく、「エゴ」は人間にくっついた病気みたいなものらしい。)
でもそのジャッジそのものがいらないのだ。
だってジャッジは何かを基準にするわけで、その基準って誰が作ったのっていう話。
人の人生にそもそも基準というのはないんだ。
十人十色というけど、十億人十億色。
一人はその自分の色を生きるのが真実のはずから。
自分の人生の中の何かがおもしろくない、気に入らないとする。
その何かを変えてもいいけれど、それではいけないとジャッジしている価値観も振り返った方がいい。
自分の人生を何かの『あるべき基準』に押し込めて、自分を苦しめているんじゃないのかと。
ハイヤーセルフのような高い視点になったつもりで、自分の人生を俯瞰で見てみると、1つの人生を歩む人間として、それは愛くるしい姿だと思う。
十分愛していいものだと思う。
がんばってきた、十分だ。

(画像は魂がパーソナリティと統合する様子の『太陽』。パーソナリティが魂と出会う『太陽』の前には幻の夜道を歩く苦しい行程『月』がある)
十分だよ。
もう肩の力を抜こう、肩肘張らずにいこう。
自分らしいままでいいとしていこう。
もう自分を愛していいって。
パーシー






