母の死去◇悼む
数日前に母親が亡くなった。
10日くらい前に危なかったときがあったので、連絡が来て、そのときに会いにいった。
数年間、会っていなかったので、様相が変わっていて、本人かを確認した方がいいかと思うくらいだった。
でも額の形、鼻の形などは母のものだった。
斜め上を見ていたり、ごほごほと痰をきる反応はするが、もう認識力はなく、声をかけても娘が来ているとは分からない、そんな彼女を相手に最後の面会。
言いたいことやありがとうや別れの挨拶。
つらい感じはあるけど、現実感がなくてどうしたものかと思った。
わたしにとって、彼女なりの愛情で育ててくれた面、虐待をした面などいろいろあって、感情の整理がとてもむずかしい。
心の古傷が痛むので会いたいとは思わない部分がありながら、わたしの心のどこかに母を恋しがる部分があるのは間違いないのだ。
だから、たくさんの矛盾を含んだゴビゴビとした奇妙な形の心をそのまま受け入れるのがいいのではないかと今は思う。
きらいとすきが混在したままでいいのではないだろうか。
わたしにとっては「やっかいな人」だった。
彼女の存在も亡くなったこともつらい。
つらいけれど、心を喜びや悲しみや怒りで満たしながら、彼女という存在と時を共有して駆け抜けた経験は苦しかろうと強烈なものだった。
心が安定するにはまだ時間がかかるのだろう。
彼女の死を悼むことができるのは愛があったからなのじゃないかと思う。
だからしばらくはこの喪失をインナーチャイルドと共に経験していこう。








