記憶の押入れから感情の解放☆エンプティ・チェア
今日は夢をきっかけにエンプティ・チェアをすることにしていった。
その夢は「時間割が分からない夢」。
学校らしいところにいて、でも自分が出る授業が分からない。
そして授業の出席日数を気にしていた。
「最初の回は出てたから。。。」とか考えていた。
こういう夢をたまに見ることがある。
起きた後、ちょっといやな気分だ。
今回はそこまでで終わらせずに解放する材料にすることにした。
それを使って自分の中から何が出てくるか、瞑想してみた。
やっていってみると「自分は十分じゃないのか」という困惑した思いをまず感じ、その原因は「外の条件に振り回される癖があるから」と感じた。
そこに関わる感情を吐き出して、自分の軸に意識を集中することが大事だと分かってきた。
少し時間をおいて、エンプティ・チェアをしはじめた。
先ほどの思いを抱えている自分のインナーチャイルドを向かいに座らせていると想定して対話を始めた。
インナーチャイルドの席に座ってしゃべっている内に思い出したのが子どもの頃に行っていた病院の場面。
ずっと思い出したことがない場面だった。
三人姉妹が母親に連れられて内科を受診し、三女であるわたしは一番最後に診てもらっていた。
医師は三女のわたしを診ながらも、わたしの長姉と医師の子どもの話をしていた。
「成績のいい子ども」のことを話題にしているらしく、わたしはその範疇に入っていない。
わたしは検品ではじかれているような気持ちになった。
母親は同じく優等生をもった親として、医師のおしゃべりに応じていた。
わたしは自分を守るために、ジャッジされないために優等生になった方がいいのかなという価値観そこでもったようだった。
でもそれは自ら望んでではなく「傷つきたくないから」だった。
そうすることは実は自分を守ることではならない。
他者の価値観に合わせることになったことは自分を枠に結わえ付けることになってしまっていた。
「本当に望むことはなんだったの?」
本当は傷ついた気持ちを言ってフォローされたかった。「おいしゃさんがあんな風に言っても、気にしなくていいんだよ。それぞれみんな違うんだから、あなたはあなたらしくていいんだよ」って言われたかった。
でも母親が長姉の成績がいいことを得意げに思っている様子を見てきていたから、それもできなかった。
母親はわたしの気持ちに寄り添うことはできない・しないと思っていた。
母親には言ってもムダで、返って傷つけられると思った。
だからこの出来事の感情は解放されないまま押入れに入ってしまった。
今回、このときの思いをインナーチャイルドとして吐き出し、大人の保護者として受けとめて、インナーチャイルドがほしかった言葉を伝えていく。
「それはその人の価値観。人それぞれだから、あなたはあなたの生きたいよう、ありたいように生きていっていいんだよ。そのままで生きていいんだよ」
自分の中で何かが溶けていく感じがした。
押入れに隠されていたを感情1つ解放した。
こういう感情の奥に、自分らしさの扉の琴線が隠れている。
このワークの後の解放され、癒された心地よさ、続けずにはいられない☆









