あの頃の思い違い
ずい分と前になるが、大病を患って祈祷をしてもらうために、超能力者をたずねたことがある。
その人のことについて予め述べておくと――
まだ少年といってもいいような年齢で、それがめずらしく、テレビや雑誌で報道されたこともあったようだ。
わたしはあいにく見たことがなかったが、わたしの家族にテレビで見た者がいたし、その頃の知り合いが本を偶然もっていた。
訪れてみると、その人は大人のような物腰で、わたしはすっかりしかられる感じだった。
「ご祈祷をしても(わたしの)器がザルのようでは、エネルギーがすべてこぼれてしまう。一応、やりますけど」というような身も蓋もない話で。。。
一回り若い人にしかられながら、わたしは「そんなこと言っても、わたしだって苦悩しながら生きてきたのに」と思っていた。
しかられても体の痛みは何とかしてもらいたく、その後もファックスなどで祈祷を依頼したり、時にはまた出かけていくこともあった。
痛みもやわらいだし、たいへんお世話になったと思っている。
ただ、最初に訪れた日に言われた厳しいことが今でも「あそこまできつく言わなくてもよかったんじゃないかな」と引っかかっていたことがあった。
それで思い立って、あの時しかられたのにはどういう意味があったのかをガイドに聞いてみた。
そうすると「あのとき、言ってもらわなければ」というようなニュアンスのことが返ってきた。
あのときのわたしは自分らしくない生き方になっていて、生き方、考え方の変更が必要だったようだ。
感じたヴィジョンでいうと、魂の器である肉がカビているのか、変質しているのか、緑色に少し変色しているようなイメージに見えた。
以前は、現世的成功に進まなければならないのだと思って、苦痛なのにも関わらずその方を向いて生きていた。
あの大病、あの叱咤をきっかけに、大きくUターンしていくことになったみたい。
ありがたいことだったんだね。
これで心に引っかかっていたのが取れた。
こんな風に思い違いしたままきていることがまだ他にもあるに違いない。
心も頭もすっきり生きていきたい。
パーシー






