彼のやさしい誤解
家人がわたしのことを几帳面で自分はルーズだという。
それはわたしの感覚とは違った。
家人は自分に甘いところは少々あるけれど、やさしくて、社会生活もきちんとできる。
わたしはなかなかルーズで几帳面とは程遠い。
料理をするのが面倒になると「チーズパンと紅茶にしよう」とすぐに提案するし、休みの日は長いことパジャマでいることはしばしばだ。
そういうことを忘れているのかな?
いや、多分、わたしが自分のしたいことをコンスタントに続けていることを言っているのだろう。
それは精神的探求やタロットの研究なのだけど。
研究の助けになるように近頃、フランス語の基礎の自学を始めた。
したいことから極端には離れない。
そのことを彼は「コツコツと努力することができる」「ずっと先に実現するであろうヴィジョンをしっかりと思い描ける」と言っているのだろう。
実は「ヴィジョンをしっかり」ではなく「こっちの方」という感じだし、その好きなことしかできないというのが正直なところだ。
厳密に言えばできなくはない。
けれど幸せな状態でいるにはその好きなことしかないからだ。
したくないことをしているとつらくなってしまう。
家の事をするのは面倒でも程度が知れているが、したくないことをずっとするのはとてもできない。
心も体も死んでしまうと思う。
好きなことを人生の中心において、そこにエネルギーを注ぎながら生きること。
そうすると人にも割りとやさしくできる。
これがわたしのできること。
これ以外については不器用者なのですみません。
その生き方を支持してくれる彼は最大の理解者であり、親友。
新しい一年もまたよろしくお願いします☆
パーシー
2019-01-09 | Posted in ときの間に | Comments Closed








