晴れの日を前にしたおすわさん

久しぶりに長崎の諏訪神社に参拝した。

おくんちを一週間後に控えて、準備をしている職人さんたちや町の人たちが見られた。

そういうのは初めて見た。

本殿以外を参拝するのも実は初めてだった。
 
 
詩歌の神さまの祠では、探求していることを言葉で表すために言葉の神意識に繋がれるようサポートをお願いしようとしたけれど、次にいつお礼に来れるか分からないから躊躇した。

すると

「自分のハートの中のお宮からでも繋がれる」というような意味を感じた。

そこの神さまのアドバイスなのか、内なる神さまのアドバイスなのか、よく分からなかったけれど。

そうか。ありがとうございます。とそのメッセージにお礼を言った。
 
 
玉園稲荷神社というお稲荷さんがあって、家人が参拝すると言う。

「わたしはご商売とかしていなから行かないほうがいいかな」と応じていた。

家人が(商売を)しているならしているなりに、していないならしていないなりにご利益があるんじゃない?というので一緒に行ってみた。

狛犬ならぬ、狛狐が何対もひんやりと立っていた。

お稲荷さんに参拝すると

「物質的な豊かさを司る存在を賎しく思ってはいけない」というような意味を感じた。

確かに物質的な豊かさに対し、わたしはブロックをもっていて、きっとそれを司る存在たちにも偏見をもっているかもしれないと思った。

「心します。」というような返事をしてそこを後にした。

実際、食事にしても、家にしても、ましてや自分の体にしても、物質的な豊かさを司る存在たちに助けられているんだから。

もっと素直に感謝できるようになりたいと思った。
 
 
他にも日本で最古の噴水だという「長崎公園の噴水」というのも興味深かった。

こじんまりしていて、その頃が偲ばれる感じがした。

カメが何匹もひなたぼっこしていた。
 
 
知っている場所と思っていたおすわさん。

久しぶりに行くと知らなかった顔が見れた。

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