ものの気持ち◇スプーンの気持ち

癒守の地球のシリウス情報に触発されて、数分前に使って、今、目の前にあるスプーンの気持ちになってみた。

するとスプーンは「今日も役に立った」と満足している感じがした。

スプーン

もしすぐに洗わずにしばらく放置したらどうなんだろうと考えた。

スプーンから感じるところでは悲しんだりしないようだった。

人間が洗うか、洗わずに放置されるかについてスプーンは判断しない。

スプーンとしての役割が自分にはあるということだけ。

もし放置されても、それについてあーだこーだと思うわけではないみたい。

じゃあ、すぐに洗ってもらって、カトラリーケースに収納されるのはどうかというとそれもどうでもない。

きれいなカトラリーケースに入れられても、使われなければそれは喜びじゃない。

ケースに入れられても、コップに立てられても、待ちの状態でいるということには変わりない。

スプーンとして生まれた存在意義を果たしていることがスプーンの心(?)を充実させると感じた。

ものも役割に身を投じていることが幸せなことのようだ。

ものの気持ちを感じてみるのは、物質との間にある境界線を超えるのを助ける。

別の肉体にはいっている他者の気持ちや自分の身体の各部位とのコミュニケーションができやすくなるそうだ。

癒しやすくなるという。

勉強になった。

スプーンもそうだったように、わたしも自分の役割をしたいんだな。

タロットなどのセッションとか絵とかかな。

そのスタンスというか、自分がどのモードで行くか、まだ決められていない。

自分の中の大掃除が終わったら、自分らしい答えが出てくるんじゃないかと思っているんだけどね。

2018-04-16 | Posted in ときの間に, モノComments Closed 

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