瞳を閉じて、名もない島まで◇メロディのメッセージ
目が覚めるときに音楽が流れることがある。
起きているときに、脈略なく、ある音楽がふっと思い浮かぶとそれはメッセージだったりすることがあると思うんだけど、目覚めのときはそれだとはっきりしている。
昨日はそれがあった。
メロディラインの最後だけ流れて、はっきりと歌詞が分からない。
でも確かこれはユーミンの曲だった。
うちにも少しアルバムがあるけどそのメロディラインが入ったものはなかった気がする。
ユーミンのアルバムを可能性の高そうな方からウィキペディアで調べる。
3つほどのアルバムの曲の中で、そのメロディラインに雰囲気が合いそうな題名のものをYoutubeで探っていった。
3つ終わって、次はどれにあたればいいんだろうと思っていると、ふと「晴れるかも知れない」という歌詞が先ほどのメロディラインにのった。
それをユーミンの名前と併せて検索にかけると・・・
あった。
実際には「――晴れたら――見えるかもしれない」だったのだけど。
浮かんだメロディが「見えるかもしれない」にぴったり合った。
曲名は『瞳を閉じて』で、その2番の歌詞だった。
霧が晴れたら 小高い丘に立とう
名もない島が 見えるかもしれない
小さな子供にたずねられたら
海の碧さをもう一度伝えるために
今 瞳を閉じて
今 瞳を閉じて
そしてそれは、数日前に受けたインナーチャイルド(小さな子ども)の癒しの中での、癒されたパラレルワールドの中の「空気がすっきりした(霧が晴れた)」に一致した。
わたしにとってのメッセージとしては、「名もない島」は「白い島」であり、「功名ということの関係ない島」であって、魂と調和したものだけが上陸できる安全な領域のことを示すと思う。
瞳を閉じているのは、目に見えるものに囚われないようにするということだと思う。
霧が晴れる前の状態は目が曇っている、今はまだエゴが出て、曇りがとれていないのでもやもやしていることを自覚して、霧が晴れるところまで進むことが必要だ。
インナーチャイルドに問われたときに自分が辿りついた答えを伝えられるように。
海の碧さはピュアな気持ち、ピュアな感情、ピュアさの象徴だと思う。
エゴの声が起こり始めることを予測して、ハイヤーセルフやサポートの存在、あるいはハイヤーマインドが投げ込んでくれたヒントだと思う。
昨日は何度となく、エゴからの古い思考が浮かび上がってきて、感情の波に度々さらわれて苦闘したから。
今は見通しのいい小高い丘に立てるように霧を払うようにつとめよう。
そしてインナーチャイルドといっしょに何とか安全なその島までたどり着きたい。









