自分は何を恐れているか☆自分のレンズを調べる

はろー☆

八多恵子さんの記事をきっかけにして自分の恐れを調べていた。

・漠然と恐い。

・変化が恐い。

・人が恐い。

・実家を信用できない。

と思って恐れている。

多分「実家を信用できない=人が恐い」なのだろうと思う。

人間は頻繁に経験の二次加工をするらしい。

そこを辿っていくと・・・

子どもの頃の不調和があった経験を「悲惨な」子どもの頃と再定義してしまい、それによってインナーチャイルドを「悲惨な体験をした子ども」「悲惨な自分」としてしまう。

そして「悲惨な」体験という加工をさらに実家の家族のせいにする。

わたし自身それをやってしまった。それも幾重にも、だ。

ただ「子どもの頃の家庭環境に困難が多かった」というシンプルな事実に受け留めなおすことが必要なことのようだ。

さらに「困難が多く、学びの材料の多い家庭環境だったけど生き抜いたんだ」「経験者」と見ることもできると思う。

そして「そういう家庭環境で育った人はたくさんいる」ことを理解すれば「自分だけが辛かった」という孤独で味付けした自己憐憫に吸い込まれなくて済むようになる。

「過酷な経験を転生の計画に組み入れたということ自体その経験に対する耐性が可能性としてあるはず」と捉えると強さの卵が自分の中に見出せると思う。

これまでの間に自分のレンズにつけてしまった埃を自覚して、起こったことをただそれだけの出来事として見れば、わたしたちはかなり軽やかになれる。

一番くらいに苦労してきたレンズの埃のひとつが家族に関すること。

「家族仲良くがいい」と社会全体が思わされすぎていて、極端に言えばマインドコントロールされ、洗脳されている。

家族は小さな社会だから、そこには同もあれば異もあるのが現実だ。

なのに上の価値観が現実と対立するから、それを両立させられない自分をいつのまにか責めることになってしまっていた。

異なものを自分の領域に無理に内在させようとしすぎてしまうことが葛藤の原因だ。

タロットの『月』のカードに学びのヒントがある。

18

距離をとるということ。(建物が2つある)

そして冴え冴えとした月光はクールなエネルギーで思考を沈静化させてくれるという。

距離をとることで見えてくることがある。

違いの多いものを無理に混ぜるのではなく、グラデーションで並べれば調和が生まれる。

またタイプが違うと感じる人とでも共有できる価値観の分野を探すことをすれば共感が可能ではあるようだ。

八多さんの記事に紹介されていた津留晃一さんと小池龍之介さんの文へのリンクです。

津留さん「観察者」
小池さん「心に突き刺さった第二の矢を抜き去るために。」

2018-01-18 | Posted in すぴりちゅある, タロットのこと, ときの間にComments Closed 

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