EMDRはスピリチュアルな成長のサポーター

こんにちは。

成長、特に精神的な成長が大切と思いながら日々を過ごしています。

最近ときどきしているEMDRがかなりそれに寄与すると感じています。

(これから起きる物事にざっくり癒しを施すのはミタキオヤスンのメディスンワークがパワフルだと思っています。)
 
 
 
EMDRの対象となるような心理的トラウマを抱えていると、さまざまなところで認識の処理がスタックしてしまうことがあります。

子どもの頃に強い不安感を覚えたものごとが焼きついている影響で、似た要素がある出来事が起きたときに、子どもの頃の不安感に基づいた解釈をしてしまうのです。

それでわたしの場合は、子どもじみた「人見知り」が出てしまったり、パートナーに対してすねたり怒ったりしてしまうことがあります。

それは自分の中のレンズが過去を投影するものになっているからです。
 
 
 
最近のEMDRでは――

わたしにとって長年、ある家族が横暴な独裁者のように見えていました。

その人に関わる出来事で、最初は「黙るしかなかった情けなさ、怒りや不愉快さ」をもっていました。

EMDRが進んでいくと段々に、「あきれた。知らないよ」へ、さらには「相手を変えようとまでは思わない。自分は離れていい」という冷静な認識に変わって行きました。

似たような出来事が起きたときに新しいレンズが新たな解釈を生み出す可能性をもつことができたと思います。
 
 
 
これにスピリチュアルな解釈を追加すると、誕生前に選択する家庭環境というものは、自分の過去世からの宿題を現実化しやすいように選んで来ます。

そう考えると横暴な独裁者を投影できる相手を自分がキャスティングするということです。

それが自分の選択なのです。

そしてまた「離れていい」という認識にまで行くことがある意味で生まれる前からの目的でしょう。
 
 
 
EMDRで達することができる認識は顕在意識のレベルを超えています。

ヒプノセラピーに似ていると思うのですが、自分の常識を乗り越えて目的地に到達できます。

わたしの古い常識の中では、家族に対する怒りや自分への情けなさを受け留めきれないだけでなく、親戚に対して自分から距離をとっていいという許可は出ませんでしたから。
 
 
 
長年滞っていた認識がわずか2時間程度の内にするすると変わっていくのが驚きです。

そしてスタックしていたことに対し「ああ、あんなところで止まっていたんだ」と見晴らしのいい山頂から山道を振り返るように思えるのです。

自分の中にある滞った道をすべて開通させることができれば宿題の大方が済むのかなと思っています。

まあ、この人生ですることは宿題だけでなく、新たな計画もあるでしょうけどね。
 
 
 
みんなで高い山頂にいっていい空気を吸おうよ、そう言いたい気持ちです。

ありがとうございます。

2017-06-18 | Posted in すぴりちゅある, セルフケアComments Closed 

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