セルフでEMDR―健全な境界線を築く―
最近、ちょっとセルフでのEMDRにはまっています。
同じテーマを2回にまたがってやったのも含め、重要なテーマを対象に5回くらい行ってみました。
この前やってのは「人との交流に対する恐れ」。
交流しないわけではないんですが、心を開いた交流となると極々わずかな相手にしかできません。
もうそろそろそれも変えていきたいなと思っていたんです。
どのシーンを手がかりにやっていくか考えたときに、血の繋がらない祖母と仲がいいことを家族になじられたことがブロックのひとつになっていると感じ、それにしました。
安全対策の後、眼球運動をしていくと最初は相手の言動にむかつきながらも傷ついて言い返せず、泣きそうな気持ちがありました。
そのときはほとんど自分のことでいっぱいでフリーズしていた感じを思い出しました。
繰り返しやっていくと、段々怒りが出て来てそんなことを言ってくる家族の方がおかしいことや、更には自分にとって重要な相手ではなく、ちんぴらに絡まれたというような印象に変わって行きました。
さらにばかばかしく呆れるように感じられてきました。
ポジティブな助言ならまだしも、ネガティブないやみなんて、口出しする権利はないとはっきりと境界線が自分の中に出来ていきました。
その後、類似した出来事でさらに眼球運動していくときには、同じようなメンバーが自宅に来たときを素材にしました。
妙な表情で本音でしゃべっていない印象を受けて、まったく楽しくない時間なのだけど仕方なく過ごしていました。
ワークしはじめると一緒にいたくない気持ちから、一緒にいることは自分を犠牲にすることだと感じ、いやさをはっきり自覚しました。
相手の中に防御のようなものや操作を感じたりもしました。
そして段々に「家族だから」という免罪符を相手に与えるのはやめだという意識がはっきりと出てきて、ケンカしてでも追い出そうという気概が出てきました。
新しい価値観として「心地いい相手と交流し、そうじゃないものは退ける自由がわたしにはあること」をインストールしました。
ボディスキャンでは少し「淋しさ」がありましたが、それもワークしていくと「清々しさ」に変わって行きました。
機能不全家庭に育った影響で「家族と何とか調和を、波風を立てないように」という考えに自分を縛りすぎたのだろうと思います。
わたしの弱腰を感じた場合、相手によってはそれに便乗して増長していたのだろうと。
数時間という短い時間の間に、わたしの中には清々しさと強さが出てきました。
「ケンカしてもいい。いやな言動をする相手に好かれる必要はない」ということがはっきりしました。
段々自分の中に純粋さを取り戻していっている感じがします。
本来もっている本人の力、自分らしさが戻ってくるのだと思います。
記録を読み返していても、元気がよみがえってきます。
いい感じです。
EMDRは副作用として頭痛を感じたり、3日後ぐらいにうつ状態が来るといわれています。
それぞれに自分にあった対策を準備しておくと安心です。
わたしが準備しているのは自然の力のセント・ジョンズ・ワート(西洋オトギリソウ)。
鎮静作用のあるハーブティです。
準備しておくと気落ちに気づいたときにすぐさま飲めます。
わたしはyogiの有機ハーブティをときどき買っていて、このセント・ジョンズ・ワートはシナモンやジンジャーなど幾種類もブレンドになっていてなかなか美味しいです。
ハーブティーを日頃慣れていないと少し飲みにくいかも知れないんですが、段々おいしく感じてきたら、それはその人の体質にあっているということらしいですよ。
当面はEMDRという新たなツールをどんどん使っていきたいと思っているところです。
では(^-^)







