自分の中からの情報☆葛藤のある親子関係
数日前の新月に行った瞑想の中で受け取ったメッセージを元にクリアリングをするようアドバイスされていた。
いくつかある中の「親に充分に愛されない悲しみ」というのを筆談内観の題材にすることにした。
筆談内観は自分の中の感情や体のこわばりなどに意識をむけて、それをサブパーソナリティとして、それと対話していく内観の方法。
わたし自身はセルフとして、セラピストとして対話をしていく。
題材をガイドや自分に明言して開始すると、おへその下、丹田のあたりに不明瞭なエネルギーを感じて、それに対し内側と筆談で話しかけていった。
セ:どんな気持ちですか?
サ:気が進まない・・・。何か。・・・なんで何か言わないといけないの。いいじゃん。ひっこんどいて。
と少しずつ対話していく。
一通り、気持ちや感情ということで導き出していく。
意味の分かることもあるが意味の分からないこともある。
それでも何とか流れを止めないようにしてやっていく。
不明瞭すぎることをサブパーソナリティがいうときには脱線していないか不安になるので、ときどきハイヤーセルフに心の中でサポートを依頼しながら進める。
ノートの枚数が2、30ページかかることもある。
いらつきや嘆きや悪態などを一通り、気づきを通っていくと普段は何となく『雨降って地固まる』的に解放と癒しが起こってくる。
今回は一通り通って解放はしてすっきりした感はあるけれど、癒しというところまではいかなかった。
一度では終わらないのかな、またやろうと思って終わった。
その後、本を読んでいた。
するとわたしは意識しないままサポートが助けていてくれたのか、じんわりと感じることがあった。
好き嫌いをはっきり表現できず、感情を溜めてしまう傾向があるわたしには、今生の肉体の母親のところに生まれてくるのがいい選択だったということ。
過去世で恋愛のライバルだったこともある人を母親にもつことで感情の軋轢もあり、苦痛を感じつつ、それを抑圧し、ついには解放するというプロセスを歩むためにこうして生まれてきたということ。
新月の瞑想の中で「相手に感謝すること」といわれていた。
少し微妙な気持ちがしていたがやっと分かった。
じんわりとそこにある気づきが感じられてきた。
いやがられると最初から分かっている母親役を引き受けてくれたのだ。
そういえば思い出すことがある。
実家のある地区では、昔、自治会の班のお花見というものが会った。
順に持ち回りでお花見を開いていくわけだが、一人住まいのお年寄りが多くなってきていた。
母親の順番の後はお年寄りたちの順番が続くことになっていたが、お花見の開催はかなり負担になることは目に見えていた。
それで母親は今年自分が花見を開催して、その後は班でのお花見は無しにしようと提案し、それが通った。
母親のお花見にはわたしもちょっとだけ手伝いに行った。
その日は以前はその地区に住んでいた人たちが誰かに声を掛けられて参加することがあったが、その人たちの中にはお花見の打ち切りに不満をもらす人がいた。
わたしは「お花見の開催になんの労力も使わない人が何を言っているんだ」と頭の中で思っていた。
しかし母親は「一人暮らしのお年寄りたちには大変ですからね」と受け流した。
相手は面白くなさそうな顔をしていたが。
これはわたしが一番彼女に敬意を感じた思い出である。
変化には難色を示す人が必ずいるが、そうなった方がいいと思うときには損な役回りでも受け持つ性質。
タロットのカードでいうと、さしずめこの『正義』だろう。
わたしの中ではそのイメージだ。
逆向きになっていることもよくあるが。
しかしこの人がいてくれたおかげで、自分の中のイエス・ノーを尊重しようというところに来れたのだ。
今は彼女にあっていないので、そう思えるということろもあるだろう。
ふ~。感情を癒す旅をこれからも続けていこう。







