夢のトランクの導き☆学び忘れを届ける
今朝は印象的な夢を見た。
* * * * *
いくらかの人がいる。
遊びか何かをしているようだ。
そこに女の子がいて、その子の後ろに大きめの皮製のトランクがある。
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起きてからもそのトランクが印象に残っていた。
それでこれはメッセージっぽいなと考えた。
その女の子は中学のときにケンカをして対立した相手だ。
結果としてはわたしが仲間外れになった。
その経験はかなりのブロックになったので、以前から何度もヒーリングやクリアリングの対象にして来た物事だった。
その子の後ろにあるトランクというのは「まだ何かがそこに入っているよ」「まだ隠されているよ」という意味だと思った。
「またか」とちょっとがっかりしたけど、ワークしようと決めた。
せっかく夢が教えてくれているのだから。
(夢はきちんと向き合うと無意識とのやりとりに使える)
今回は言葉によって癒していくワークを選んだ。(下に注釈)
「夢が伝える隠された問題」としてやっていってみると。。。
目を閉じて、言葉を繰り返しているとそのトランクのイメージが見えた。
その中に子どもがうずくまって入っている。
一緒に感情や事情も感じられてきた。
わたしが自分から分離し、充分に受け入れてきていなかった自分の一部だと感じた。
当時、ケンカや仲間外れが本当はとてもきつかった。
しかしメソメソするとばかにされるところのある家庭だったので、強がって学校に行き続けた。
辛さをできるだけ感じないように、心を感じないように。
そうしている内にケンカや仲間外れで苦しんだ「敗北者の経験」を自分の中でブロックしてしまっていた。
子どもはトランクの中にしまいこまれ、その姿勢のままで苦しみ続けていたようだった。
ワークの間にできるだけ、その子どもが経験した思いを自分の中に取り入れるように「負けたのはわたし」と意識をしていった。
その子どもの辛さを受け留めるだけの智慧が大人の今のわたしにはある。
1時間半ほどワークをし続けるといつの間にか心は軽くすっきりとしていった。
過去に置き忘れていた自分の一部が自分に溶け込んだのだろう。
考えると中学のときの経験をブロックした分、わたしはまだ「敗北」に関する学びを充分に統合していないかもしれない。
誰かが負ける様子をみるのも今までつらかった。
それは「敗北」ということの中にある豊かな学びを受け取っていないからだ。
振り返ってみると「敗北」が起きるときには、必ず何か間違いがある。
・中学のときは力のいさかいに参加
・K試験は本来の目的じゃなく動機が不純
・部活では姉の価値判断に丸投げ
上手く行かないときは必ず「らしくない」変なことをしているのだ。
間違った方向・方法をとっているとハイヤーセルフがストップをかける。
それがきっと「敗北」なのだろう。
だから敗北は一時停止のお知らせとしてありがたく受け取るといい。
ラーマクリシュナ・パラマハンサはこう言っているそうだ。
幸と不幸、善と悪などの二元のものもふくめ全ては神のはたらきだ。全てが神であり、どれかを切り捨てたりしなくていい。すべてありがたく受け取っていい。「みな頂かないと目方が減るもの」と。
敗北したら、「了解」と一旦止まって、新しい気づきをゆっくり見つければいいのだと思う。
言葉のワークは「ミタキオヤスン」のメディスン・ワーク。
やり慣れるととてもパワフルだと分かります。










