自分にとっての真実の生き方
自分にとって真実の生き方だと思うものを通すこと。
それほど容易なものではない。
自分の外にも内にもそれを妨げるものがあったから。
くじかれることもあったし、自分で後退することもあった。
親しいはずの人にくじかれたときには心に深手を負ったし。
生き方を無理に変えさせようとして心をくじく人とは果たして人生を共有する意味があるだろうか。
絵の具の混色は、光の混色と違って、別の色を混ぜれば混ぜるほど濁っていく。
だけど黄色と緑から黄緑ができるように、近い色同士の混色の場合は美しさが保てる。
だから違いすぎる場合、離れるというのが解決であることは意外に多い。
なだめられたり、おどされたりしても、自分の心を偽るわけにはいかないからね。
違う生き方をさせられると自分の周波数で生きられず、少し死んでいるみたいになる。
くじかれる経験をすると気持ちを尊重してくれない人との交流には本当の意味での価値がないことが分かる。
実のところ「価値がないことが分かる」という価値が大いにある。
そしてあらためて真実の生き方を通したいと思うのだ。
理解しようとしてくれる人がいる。
少し似た色の人なのかもしれない。
闇を通って出たところで一筋の光に会えた気持ちだ。
よかった。これでよかったんだ。
だから決して道を諦めない。
この人生の終わりまで道を行こうと思う。
先に進む。
2017-01-12 | Posted in ときの間に | Comments Closed










