格好悪い自分と仲良くする
世間ではいろいろに出来事があり、ニュースで知ると良かれ悪しかれ、影響を受けることになる。
その内のひとつで「自分のありのままを認めてなくて起こった問題かな」と思うことがあった。
ニュースの出来事が事実そうであるかは確かじゃない。
しかしわたしの中にそういう部分があるから、そのフィルターで出来事を解釈したというのは間違いないことだ。
子どもの頃の過去か、あるいは過去世とかまで遡るのかは分からないが、社会的に認められ、賞賛されることがいいことだという価値観が自分の中にあった。
だから社会的に立派な役割を果たそうという意図をもってきた。
一方で、わたしは子どもの頃から人の目を集めることがひどく苦手だった。苦痛だった。
先生の指名に起立して答えるだけでも頭が真っ白になるという経験は日常茶飯事。
通常ならできることが聴衆を前にするとほとんど不可能になる。
称賛の視線を望むけど、実際は人の視線そのものに耐えられないという相反するものを抱えていた。
だから欲しがっているのに得られないというジレンマに囚われていた。
でも得られない自分というのは格好悪い。
だから認めたくない。
その「格好悪い自分」は長らく背後に追いやられたままだった。
そうするとそのサブパーソナリティは背後で訴える。
「イ~~!!!」という苛立ちが腹の底からわきあがったり、背中側に原因のはっきりしない痛みがあったり。
そうして今回、ニュースで気になったので、認められたいのに認められない自分に焦点を当てることにした。
内観で「格好悪い自分」に心を向けてみた。
筆談で言い分を聞くように心の耳を傾けてみた。
対話を繰り返していく。
その自分は決まり悪そうだったが、それでも嬉しそうな感じが伝わってきた。
自分の一部として認められたことが嬉しいのだ。
格好悪い自分を認めて、受け入れ、そのままで愛する。
「嬉しい」
これまで、わたしは自分の一部を無視して、無意識の世界に遺棄してきたということなのだな。
人に無視されるのはつらい。
しかし自分の中で自分に無視されるのが本当は一番悲惨なものなのかも知れない。
認められずに遺棄されてきたサブパーソナリティが他にもありそうな気がする。
ひとつずつ自分の中に受け入れていきたい。






